画面サイズの変更

海辺のピカソ〜物としての価値とは

インターネット予約
院長ブログ

院長ブログ

海辺のピカソ〜物としての価値とは

  • 2021.08.07

    "ロイは、その男が海岸の砂に何か描いているのを崖の上から眺めていた。少しずつ輪郭をあらわしてきたその絵に、ロイは驚いた。〜その絵はピカソの作品そっくりなのだ。そう思ったとたん、ロイは心臓が止まりそうになった。海岸にいるのはなんとピカソ本人ではないか。胸の鼓動が早まった。この散歩ルートは毎日通っているので、まもなく潮が押し寄せてくることは知っており、そうなれば、まぎれもないピカソのオリジナル作品が流されてしまう。なんとかして守らねば。でも、どうやって?〜家までカメラを取りに走ることはできるだろう。しかし、写真はせいぜい作品を写し取ったものであって作品そのものではない。仮にそうしようとしても、カメラを持って戻ってくるまでに絵は波に消されているかもしれない。それならば、消えるまでのあいだ、絵を独り占めにしてただ楽しむべきなのかもしれない。立ち尽くして絵を眺めながら、ロイは笑ってよいのか泣いてよいのかわからなくなった。" 100の思考実験 紀伊国屋書店 より引用

    これは架空の思考実験である。海辺に描いたピカソの絵は未発表で非常に芸術的だとする。ではその物としての価値はどうだろう。数分~数時間で消え去ってしまう物であれば非常に価値が低いと言わざるを得ない。

    物としての価値は根源的な価値を時間で積分した面積で表せるのではないかと私は考えている。

    法隆寺の宮大工は300年後に建物が落ち着くように計算して心柱の木をあらかじめ切り縮めているそうだ。

    ライカというカメラの希少モデル、ブラックペイントは高値で取引されているが、数十年後に剥げて金の真鍮が見えてくる事で風格、個性が出てくる。

    時間とともに価値が高まっていく物、少なくとも価値が減少していかない物は「物としての価値」は無限大になるのではないか。

    コメント(0)

  • « 前へ院長ブログ一覧次へ »

  • コメントする


    画像の中に見える文字を入力してください。

pagetop