週末は子供を連れて杉原千畝記念館へ行った。
杉原千畝は第二次世界大戦中リトアニアの領事代理を努めていた外交官。
ユダヤ人たちはポーランドからリトアニアに避難していた。
リトアニアは侵攻が迫っており、彼らが収容所で殺されるのは時間の問題だった。
ユダヤ人を助けるために、杉原千畝は日本政府の方針に反してユダヤ人に渡航ビザを2132枚発給した。
1家族につき1枚発給すればよかったので、実際助けた人は少なくとも6000人以上。
その後のユダヤ人たちはシベリア鉄道から敦賀港まで来て、世界各地へ避難していった。
敦賀港では食料を渡したり、住民たちが手厚くもてなしたそうだ。
色んな場所で命のリレーが繋がっていったのだ。
自分のキャリア、その後の人生を犠牲にしてまで他人を助けることは普通できないことだ。
彼のような立派な外交官が岐阜で生まれ育ったことを誇りに思う。
ブログを見た人も是非訪れてみてください。
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